昨日って、
100年目の誕生日だったんですねー。😘
(晩年のハチ公)
ハチ公は秋田の大館市で生まれた秋田犬だ。
1923年11月10日生まれ。
翌1924年に、
東京大学の教授だった上野英三郎さん
のところで飼われることになった。😘
6年まえに第一次世界大戦がおわって、
4年前にその大戦の反省から国際連盟ができ、
日本は常任理事国として、
国際社会で発言権をもっていた。😌
不況を戦争で乗り越える、
そんなきな臭い時代だ。😅
上野博士は犬好きで、
それまでに秋田犬を8頭かっていた。
しかしどれも短命だった。😅
ハチも病弱で、
何度も死にかけたが、
上野博士の懸命な看病でもちなおした。😙
当時の博士は52才。
晩年に一緒になった八重子夫人によると、
ハチは生まれたばかりの赤ちゃんと一緒に、
居間の畳の上でよく寝ていたらしい。🐕
家族同然に育てられたんですね。😍
しかし翌年、
1925年の5月に上野博士は、
東大での会議中に倒れてそのまま
帰らぬ人となった。
53才だった。😅
なので上野博士がハチと一緒だったのは、
1年ちょっとと短かかった。🥲
その後ハチは、
未亡人となった八重子夫人と一緒に、
世田谷の一軒家に住むことになった。
しかし間借りの家ゆえ、
秋田犬という大きい犬を
そのまま飼い続けることは難しいかった。😅
ハチは最終的には、
上野博士と懇意だった渋谷駅近くに住む、
植木職人のところで飼われることになった。
ハチはそこから渋谷駅によく散歩をした。🐕
大きな秋田犬が、
鎖もつけずに放し飼いすることができて、
渋谷駅まであそびに行けた、
というのはやはり時代ですね。😊
途中ハチは、
上野博士の帰りをずっと待っている、
という新聞記事により、
" 忠犬 "
との肩書きを得ることになる。😌
1935年(昭和10年)
ハチは12才の生涯を閉じることになった。
昨日、
ハチ公の新聞記事をよんでいたら、
ハチとつながった。😳
ハチの前世は牛だった。🐂
わたしの経験だと、
牛や馬で人間に飼われていたものたちは、
犬や猫に生まれ変わるのが多い。
ハチもずっと、
人間と一緒にはたらいていた牛だった。
何度も生まれ変わり、
いろいろな場所で人間と一緒にいた。
ハチがメス牛だったとき、
前世の上野博士に、
難産の仔牛をとりあげてもらっている
シーンがみえた。😚
そのことに、
ハチがすごく感謝している想いが、
伝わってきた。😍
ハチからは、
" 人間が大好き。
人間と一緒にいたい。
みんなと仲良くしたい。"
との想いが伝わってくる。
人間だったら、
朴訥 (ぼくとつ) で口数が少なく、
誠実で質実剛健なタイプだったんだろう。
そんなハチの姿が、
浮かんでいました。☺️
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