経営コンサルタントだった
船井幸雄さんは若いころ、
妻と父親を立てつづけに亡くした。🥲
その頃の船井さんは、
" ケンカの船井 "
と呼ばれていてコンサルタントとは、
勝つか負けるかの闘いが信条だった。😡
船井さんはどうにも立ち直れず、
失意のなかヨーロッパ旅行に旅立った。✈️
イギリス滞在中、
大英博物館に立ちよった。
当時はまだ日本人の旅行者はめずらしく、
船井さんにひとりの日本人が話しかけてきた。
日本の大学の先生だった。
そこで船井さんは、
エマニュエル・スゥェーデンボルグ
のことを知る。😳
大英博物館には
彼の膨大な書きものが残されていた。
船井さんが立っていたのは偶然、
スゥェーデンボルグの著書
「霊界日記」
のまえだった。
エマニュエル・スゥェーデンボルグは、
1688年スゥェーデン王国でうまれた。
日本では江戸時代のまだはじめ、
" 犬公方 "で有名な5代将軍・
徳川綱吉の御代だった。
スゥェーデンボルグは
著名な科学者であり、
後年には国会議員にもなった。😘
彼はいまでいう
" 体外離脱者 "だったのだろう。🥹
体から抜け出し、
いろいろな見えない世界を探索して、
それをたくさん書き残した。
もちろん17世紀のヨーロッパでは、
彼の言うことは "異端 "と非難された。😅
毀誉褒貶(きよほうへん)
の多い人物だった。
しかし哲学者のカントは、
スゥェーデンボルグのことを
後年こう述べている。😌
「彼の不思議な能力の
非常に多くが確実であり、
彼は道理をわきまえ礼儀正しく、
隠しだてのない人物であり、
学者である。」
船井幸雄さんは、
この大英博物館のときから、
" 見えない世界 "
のことを調べはじめ、勉強し、実践し、
変わっていった。😍
闘い勝つこと
をコンサルタントの信条としてきたが、
" 調和 " をモットーに、
もっと大きな流れにのることを意識した。
それからはコンサルタントが、
どんどん上手くまわるようになっていった。
ヘレン・ケラーは、
目が見えず、耳が聴こえず、話せない、
という三重苦だったが、
家庭教師のアン・サリバンと二人三脚で、
その暗闇から脱したことは有名な話だ。😌
わたしも小さいときに、
ヘレンケラーの伝記をよんで、
サリバン先生との奮闘努力、
ヘレンのたゆまない学習の数々
のことは知っていた。😍
しかしヘレンを動かしていた、
背景にスゥェーデンボルグがいた、
ということは知らなかった。😳
ヘレンはこう言っている。
「私はスゥェーデンボルグの
" 霊界日記 " を読むことで、
目覚めました。」
生きるということとは?
生きることの真実とは?
存在するとは?
ということを学び、
ついには
" 障がいとは、
神から与えられた試練 "
との思いを持つにいたる。
ヘレンはまた、
私という存在は、
過去から連綿とつづく大きな流れの中にあり、
いまの人生はそのほんのひとつの現れ。
私の未来はまだまだつづき、
この三重苦が次の世に続くことはない。
という" 生まれ変わり "の考えまで、
持つことになった。😊
キリスト教にも6世紀までは、
リンカーネーション (生まれ変わり)
の考えはあり、
キリストも人は生まれ変わると言っている。
しかしキリスト教では、
" 生まれ変わり"の考え方は禁止されて、
いまでもその考えは " 異端 "とされている。
いろいろな障がい者の話を聞くたびに、
彼らや彼女たちが、
いかに "見えない世界 " のことを知り、
それによってどれだけ、
人生を豊かにしていったか
ということにいつも驚く。😊
障がいを持つ人やその家族にこそ、
この" 見えない世界 "の理(ことわり)
を少しでも知ってほしい、
と心から思う。😻
ヘレンはいう。
「盲目であることは悲しいことです。
しかし目があるのに、
見ようとしないことは、
もっと悲しいことです。」
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