昨日の続きです。
啓子センセは、
生まれながらの副腎の難病で、
病院生活が長かった。😰
啓子センセは
こう述懐している。
「小さいときから、
醜い自分は
生まれてくるんじゃなかった、
と死ぬことばかり考えていました。
今ではとても考えられないほど、
暗くひねくれた無口な子どもでした。」
副腎の難病以外にも、
とにかく病気だらけの、
子供時代だった。😓
そして、
啓子センセの母親は、
将来ふつうの生活を送るのは難しい、
と考え、
手に職をつけるため、
医者になることをすすめた。😌
この先のエピソードは、
わたしも好きで何度か講演会で、
啓子センセから聴いたし、
本でも読んだ。😘
とにかく、
母親がものすごく、
厳しかったらしい。😡
医者になるのをススメた、
と優しく書いたが、
鬼の厳しさでの、
強要のようだったらしい。😾
しかし啓子センセは、
東京女子医大にはいり、
医者になった。👏
大人になり、
怖かった母親ともふつうに
話せるようになったとき、
なんであんなに厳しかったのか?
と啓子センセはきいてみた。
しかし母親には、
厳しくした記憶が一切なかった。😵
わかりますか?🥹
この手の話は、
とても多くて、
わたしのお悩み相談のときも、
" 親との確執 "
の話もよくきく。
実はわたしも、
母親がすごく厳しくて、
鬼か般若(はんにゃ)
に見えていた時期があった。🤣
しかしわたしが大人になり、
当時のことを話したとき、
母親は自分は甘い親との、
認識だった。😳
まるで真逆の認識、、、😵
啓子センセは、
こう言っている。
「あの厳しさは約束だったんです。✨
生まれてくる前に、
私は医者になることを決めてきたので、
母親はあえて厳しく私にあたり、
私を医者にするために
悪役をやってくれていたんです。」💕
数々の病気も、
医者になったときに、
いろいろな患者さんの気持ちが
分かるためだったのだ。😻
すべて啓子センセが、
生まれてくる前に決めてきた、
人生の計画だった。👏👏
医者になってからも、
数々のエピソードが満載なのだが、
そのへんはまたの機会にゆずる。
啓子センセの、
過去世の話をしよう。
原爆の話だ。
啓子センセは、
広島で原爆で亡くなった
過去世をもっている。😅
広島市の大手町に住む、
ひろしという6才の男の子だった。😓
ひろし君が、
ちょうど路面電車にのるとき、
背中のほうでピカッと光り、
あたり一面まばゆい光に包まれた。😨
そしてひろし君は、
そのまま溶けて亡くなった。😰
これってすぐ前の、
過去世みたいですよね。
そのあとに、
アメリカを訪れた啓子センセは、
インディアン居留地で、
ホピ族に伝わる予言の石のまえで、
過去世を思いだした。✨
予言の石には、
ひょうたん型の絵が描いてあった。
ホピ族のインディアンの
少年だった前世の啓子センセは、
ホピ族の長老が予言の石の前で、
こんな話をしてくれたのを思い出した。😊
「おまえはいまからはるか未来に、
このような形に光る
巨大な爆発によって、
溶けて亡くなるだろう。」
そう言って長老は、
ひょうたん型の絵を指さした。
原子爆弾のきのこ雲なんでしょうね。
「しかしそれはおまえにとって、
必要なことなのだ。
その体験を通して、
おまえは平和の世の中をつくる
手伝いをすることになるだろう。」✨
のホピ族の長老は、
世界の各地にいまだ住む、
あまたの先住民族とおなじく、
天とのつながりが切れていなった。✨
未来を見通す力を、
もっていたんですね。😳
啓子センセは、
原爆のパワーをうちに秘めたまま、
今世はうまれてきた。✨
子どものときの、
苦しく暗い闘病生活も、
大人になり、
オセロの黒が白になるように、
すべて良い、
必要だった経験にかわった。🥰
天然石と、
アロママッサージにより、
難病だった、
一生治らないと言われた副腎も、
完治した。👏👏👏
この今世での活躍の底には、
原爆のパワーが、
ゆっくりしっかりと
流れている。✨✨
啓子センセの口グセであり、
キャッチフレーズになっている、
" すべては上手くいっている❣️"
とおりなんですね。😻
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